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東京地方裁判所 平成6年(合わ)177号 判決 1995年10月13日

主文

被告人Aを無期懲役に、被告人Bを懲役一六年にそれぞれ処する。

未決勾留日数中、被告人Aに対し二七〇日を、被告人Bに対し三六〇日をそれぞれその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人Aは、昭和六二年に刑務所を仮出獄後間もなく、いわゆる手配師の仕事をするようになり、昭和六三年一月ころ、現在の妻であるC子と知り合ってからは、飯場を転々としながら住み込みで鉄筋工の仕事をしていたが、平成六年三月からは、東京都新宿区西新宿二丁目一一番地所在の新宿区立新宿中央公園(以下「中央公園」という)や東京都新宿区西新宿一丁目六番一号所在の新宿エルタワービル(以下「エルタワー」という)付近の地下街で生活するいわゆる路上生活者(ホームレス)となったところ、その後も日雇いの仕事に従事していたこともあって他の路上生活者に比べて金回りがよかった上、他の路上生活者に食べ物を分け与えてやるなど面倒見が良かったことなどからエルタワー付近の地下街における路上生活者グループのリーダー的地位に立つようになった。

被告人Bは、昭和六二年に少年刑務所を仮出獄後、名古屋において鳶職として稼働し、平成二年ころ上京して土木作業員等の仕事をしていたが、平成六年五月初旬ころから、新宿駅西口地下街で寝泊まりする路上生活者となって、被告人Aと知り合い、同人の弟分として行動を共にするようになった。

第一  被告人Aは、平成六年五月二六日午後二時三〇分ころから、新宿駅西口地下街において、ハンチングことDらと路上生活者仲間による酒盛りを始め、やがて社長ことEがこれに加わったほか、同じく路上生活者であるバカトビことF(当時五七歳)が数回、右酒盛りに顔を出しては被告人Aらに酒をたかっていくなどしていたが、同日午後九時ころからは、被告人A、D及びEの三名だけで、酒盛りを続けていたところ、Fの日頃の行状が話題となり、Fがしばしば路上生活者仲間に酒をたかったり、仲間の所持品を盗み取ったりしているなどと話し合ううちに、被告人Aは、Fに対する怒りの念がこみ上げ、Fに焼きを入れようと考え、その旨持ちかけると、D及びEもこれに賛同した。

その後、被告人Aらは、同日午後一〇時ころから、手分けをして、新宿駅西口付近でFを捜し回ったところ、被告人Aが、新宿駅西口地上の高速バスターミナル付近においてFを発見し、「中央公園に酔っぱらって寝込んでいる奴がいるんだ。マグロ(仮睡盗)してえんだが、やり方を知らねえからやり方を教えてくれ。金が入ったら均等割りにしよう」などと嘘をついて同人を誘い出し、同人を連れて、新宿駅西口地下街に戻ったところ、Eが待っていたほか、日頃Fにたかられて腹を立てていた角刈りことGも来ていた。一方、被告人Bは、そのころ、段ボールで囲むなどして作った自分の寝床で横になっていたところ、Dから被告人Aが呼んでいると誘い出され、Dと共に、Fを連れた被告人Aらと合流したが、Fを中央公園に連れて行こうとする被告人Aの言動等から、同人らがFに対して焼きを入れるつもりであることを察知してこれに加わることとした。

こうして被告人両名、E、D及びGの五名(以下、この五名を「被告人ら五名」という)は、Fに対して焼きを入れるとの意思を相通じた上、Fを連れて、新宿駅西口地下街を出発して中央公園に向かい、同月二七日午前〇時三〇分ころ、Fを中央公園内の雑木林の中に連れ込むや、Fに対し、こもごも、その顔面や腹部などを多数回蹴り付けるなどしたが、さらに被告人B及びGが、中央公園内で拾った石塊ないしコンクリート塊を、同所に倒れたまま動かないFに対し投げ付け始めたところ、Gの右投げ付け行為はFの頭部を狙ったものであったことなどから、これを見た被告人両名らは、GがFを殺害する気になっていることを察したが、被告人A、E及びDにおいては、なお憤激の情抑え難く、他の者と共にFを殺害しようと決意し、被告人Bにおいても、兄貴分である被告人Aがいる以上自分だけ逃げるわけにはいかないなどと思い、他の者らに同調してF殺害を決意するに至った。

このようにして、被告人ら五名は、暗黙のうちにF殺害の意思を相通じた上、被告人両名、D及びGにおいて、同所に倒れたまま動かないFに対し、付近にあった石塊一個(一辺の長さが長いところで約三九センチメートル、幅約一二センチメートル、厚さ約二センチメートル、重さ約二・一キログラムのもの〔平成六年押第一四一四号の2〕)及びコンクリート塊合計三個(一辺の長さが長いところで約一二センチメートル、幅約一〇センチメートル、厚さ約八センチメートル、重さ約一・二キログラムのもの〔同号の4〕、一辺の長さが長いところで約一〇・五センチメートル、幅約一〇センチメートル、厚さ約四センチメートル、重さ約〇・四キログラムのもの〔同号の5〕及び一辺の長さが長いところで約一三センチメートル、幅約一一センチメートル、厚さ約四センチメートル、重さ約〇・九キログラムのもの〔同号の6〕)等をFの顔面、頚部及び胸部等を目掛けて合計数回投げ付け、さらに、その間、被告人Aにおいては、所携の万能ナイフ(同号の7)の柄の部分でFの顔面を数回殴打するなどもした上、Gが、Eが見つけ出して使うよう指示した大きな石塊(一辺の長さが長いところで約四六センチメートル、幅約一一センチメートル、厚さ約一一センチメートル、重さ約一一・五キログラムのもの〔同号の3〕)をFの頭部に一回投げ付けるなどした。その後、被告人ら五名は、Fを放置したまま、その場から百メートル余り離れた中央公園内公衆便所付近に移動したが、被告人B及びGにおいては、そこですぐにEからFのとどめをさすよう命じられて、再度雑木林内現場に立ち戻り、Fに対し、代わる代わるその頚部等を目掛けて右の大きな石塊一個(同号の3)を数回投げ付けた。かくして、前記一連の暴行の結果、そのころ、前同所において、同人を頭蓋骨骨折等を伴う頭部右側から顔面部にわたる打撲傷等、並びに胸骨骨折、舌骨骨折及び甲状軟骨骨折等を伴う前胸部擦過打撲傷等に基づく顔面部、頚部及び前縦隔部等の軟部組織出血により失血死させて殺害した。

第二  被告人Aは、同年五月三〇日午後七時ころ、エルタワー付近の地下街において、前記C子と酒盛りを始め、その後、同じ路上生活者のハンチングことH及び青タンことI(当時四八歳)らが加わった。ところで、Hは、被告人Aのグループは同人の面倒見が良く、酒や食べ物も豊富であったことなどから、そのグループに加わりたいと思うようになっていたものであり、これに対して、Iは、以前、被告人Aの持ち物であったラジオ・カセット・レコーダー(ラジカセ)を勝手に持ち出し処分したことがあったが、被告人Aから弁償を求められても無責任な態度をとり続けていたため、被告人Aの怒りを買っていたものである。

被告人Aは、HやIらが酒盛りに加わってから、Iに対し、何回も、右ラジカセの弁償等を要求していたが、Iが誠意ある対応をしないばかりか、いかにも面倒臭そうに「俺は知らないよ、もういいんじゃない、そんなの」などと返答したことから、それまで抑えていた怒りを一気に爆発させ、かくなる上は、Iに対して徹底的に焼きを入れてやろうと決意し、同日午後一〇時三〇分ころ、座っている同人の顔面付近を足蹴にしたり、その頭部や顔面等を手拳で殴打するなどし、さらに、Iに焼きを入れているところが人目につくことを恐れて、Iを地上に連れ出した上暴行を継続しようと考えた。一方、被告人Bは、被告人Aらが酒盛りをしている方向から騒がしい物音が聞こえてきたため、何事が起こったかと気になり、自分の寝床から出てその様子を見に行ったところ、被告人AがIに対し暴行を加えており、また、被告人Aから、「タツ、(Iを)追え」「やれ」「上へ連れて行け」などと指示されたため、Iを地上に連れ出し人目につきにくい場所で焼きを入れるのだと分かったが、被告人Aの弟分としてそれまでも同人の命令に従ってきたことから、被告人Aと共にIに暴行を加えることを決意し、また、その場にいたHも、被告人Aのグループに加えてもらうためには被告人Aと共にIに暴行を加えるしかないと決意するに至った。

そして、被告人B及びHは、被告人Aの右指示に従い、付近の階段からIを地上に連れ出し、さらに、被告人Aが見張りをしながらあとを追う中で、Iを引きずるなどして、同区西新宿一丁目四番一三号に架けられた新都心歩道橋の青梅街道下り線の新宿大ガード寄り昇降階段まで連行した。この間も被告人両名及びHは、逃げようとしたりするIの顔面、腹部などを多数回手拳で殴打したり、その腹部等を足蹴にするなどの暴行を加え続けたため、同人は右階段まで運ばれたころには意識を失い自力では動けない状態になっていた。

被告人Aは、右歩道橋の階段の下であれば人目につきにくいであろうと考え、同日午後一一時すぎころ、被告人B及びHに命じてIを右歩道橋階段下に運び込ませたが、なお憤激が収まらずこの際ひと思いにIを殺害しようと決意し、犯行を通行人らに見られないようにするため付近にあった段ボールをIの回りに立て掛けて目隠しにするとともに、右階段下付近にあった長さ約六〇センチメートル、幅約二〇センチメートル、厚さ約七センチメートル、重さ約一九・一キログラムの歩車道境界特殊コンクリートブロック一個(前同押号の1、以下「ブロック」という)を右階段下まで持ち込んだ。被告人Bは、被告人Aが段ボールをIの回りに立て掛けて目隠しにするのを見て、また、Hは、被告人Aがブロックを右階段下まで持ち込むのを見て、いずれも被告人AがIを殺害する意思であることを察したが、被告人Bは、ここでI殺害に加担しなければ被告人Aに何をされるか分からないと思い、その意思に従うことを決意し、Hも、ここまできた以上、被告人Aに加担してIを殺害するしかないと決意するに至った。このようにして、被告人両名及びAは、暗黙のうちに意思を相通じ、そのころ、路上に仰向けになったまま動かないIに対し、被告人A、H、被告人Bの順に、代わる代わるブロックを顔面、頚部等を目掛けて合計数回投げ付け、よって、その場で同人を右ブロック投げ付けに起因する頭蓋骨骨折を伴う頭蓋内損傷により死亡させて殺害した。

(証拠の標目)《略》

(争点に対する判断)

一  被告人Aの弁護人(本項では、以下単に「弁護人」という)は、判示第一の事実について、「被告人Aには殺意がなく、他の共犯者との間に傷害の限度で共謀が成立するにとどまる。また、被害者Fの死亡という結果は、被告人Aの加わった当初の共同暴行により発生したものではなく、被告人Aが犯行現場を離れた後、被告人Aの知らない間に、Eが被告人B及びGに命じて行わせた新たなとどめの共同暴行により発生したものであるから、被告人Aが右結果につき責任を負うことはない。したがって、被告人Aには傷害罪が成立するにすぎない」旨主張し、被告人Aも、当公判廷において、弁護人の主張に沿う弁解をしているので、以下この点について検討する。

二  被害者殺害の共謀について

1  関係証拠によれば、当初の共同暴行終了までの段階につき、以下の事実が認められる。

(一) 被告人ら五名によるFに対する暴行は、判示のとおり、足蹴り等の暴行から始まり、その後引き続き、被告人BやGらが、Fに対し、石塊ないしコンクリート塊(以下、両者を単に「石塊」と総称する)を投げ付け始めたのであるが、右の投石行為の直前の段階で、Fは、それまでに加えられた激しい暴行によりかなりの痛手を受け、転倒したまま全く身動きのできない状態になっており、Fに焼きを入れるという被告人Aらの当初の目的は、既に達成されていた。それにもかかわらず、同被告人らは、その後も暴行を継続・激化させており、この時点で、同被告人らの憤激の情は収まらぬばかりか、一層強まっていく状況にあった。

(二) Fに対し投げ付けられた石塊は、判示のとおり、その重量が約〇・四キログラムから約一一・五キログラムにまで及ぶものであり、いずれも、頭部等の人体枢要部に強く投げ付けられた場合、死の結果を招く恐れのある危険な兇器であって、右の投石行為は、それ以前の兇器を使用しない暴行行為とは質的に全く異なる、格段に危険性の高い攻撃方法であった。

(三) 右の投石行為を行ったのは、Eを除く被告人ら四名であり、まず被告人BがFの腿付近に石塊を投げ付けた後、G、D、被告人Aがこれに続いた。Gの行った最初の投石行為は、重さ一キログラム程度の石塊を、転倒したままのFの後頭部めがけて力一杯投げ付け命中させたものであり、また、続くDの投石行為もほぼ同様のものであって、いずれもFの身体枢要部に対する強度の攻撃であった。このため、被告人Bは、Gの最初の投石行為を見て、Fが死亡するかもしれないとの認識を抱くに至った。

(四) 被告人Aは、被告人B、G及びDによる投石行為を目の当たりにしながら、これを制止しないばかりか、直ちにこれに呼応して、何ら躊躇することなく自らも石塊を数回Fに投げ付けた上、更に、所携のナイフの柄の部分でその顔面を殴打するなど、暴行を執拗に継続した。被告人Aの投げた石塊は、Fの腹部にも命中しており、Fへの致命傷とならなかったにせよ、身体枢要部に対する危険な攻撃であった。

(五) 被告人B及びGは、いずれも複数回投石行為を行っており、殊にGは、前記の最初の投石行為のほか、重さ約一一・五キログラムもの大きな石塊をFの頭部に投げ付けている。Dも、Gの最初の投石行為後ためらうことなく、右(三)記載の投石行為を行っており、また、Eにしても、自らは投石行為を行わなかったものの、右の大きな石塊をわざわざ見つけ出した上、「あっちに大きな石がある」などと言ってGにこれを使うよう指示するなどしている。そして、投石行為がひとしきり終わってEが声をかけるまで、被告人ら五名の中で他の者の投石行為を止める者はなかった。このように、被告人A以外の共犯者も、互いに他の者の投石行為を認識しかつ容認した上、これを継続していた。

(右の認定について若干説明を補足すると、当初の共同暴行の態様等の重要な点で、被告人両名の供述に食い違いがあるが、被告人Aの供述の方に不自然な点が多く、被告人Bの供述の方が全体的に迫真性に富むものと認められる。もっとも、被告人Bの供述にも不自然な部分が全くないわけではないので、これを隅から隅まで信用するわけにはいかない。被告人両名の供述については、以上のような評価をした上、他の関係証拠を総合して、右のとおり認定したものである。)

2  右の各事実によれば、Gが最初の投石行為を行うに際し、殺意を抱いていたこと、右のGの最初の投石行為を見た他の被告人ら四名が、右行為を人の生命を絶つ現実的危険性のある行為として認識したこと、それにもかかわらず、右四名は、何らこれを制止することなく、自らもこれに呼応して人の生命を絶つ危険性の高い投石行為を繰り返すなどしたことが明らかである。したがって、被告人A、E及びDの当初の謀議の内容がFに暴行を加えて負傷させるという程度にとどまっていたにせよ、遅くとも、Gが殺意を持って最初の投石行為に及んだ直後の時点において、被告人Aを含むその余の四名にもF殺害の犯意が生じ、以後は、被告人ら五名全員が、暗黙のうちにFを殺害しようとの意思を相通じた上、共同して投石等の暴行行為に出たものと認めることができる。

3  なお、被告人Aは、当公判廷において、「Fを殺害するつもりはなかったし、また、暴行を加えていた当時、暴行の結果、Fが死亡するか否かの点につき考える余裕もなかった」旨供述して殺意を否定している。

しかしながら、まず第一に、被告人Aの右弁解は、前記1の各事実に照らすと、極めて不自然であるというほかなく、たやすく信用することができない。

第二に、被告人Aは、本件各犯行につき新宿警察署の留置場に勾留されていた際、同じく勾留中の被告人Bに対し、「逃げたやつなんか捕まるわけないんだから、Gの責任にすればいいんだから、最初Gが石を当てたということにして、俺はそのあとに蹴りを入れたと、そういうふうに調書を作ればいいから警察にそういうふうに言え」などと指示しており(被告人Aもこのような発言をしたことは自認している)、当公判廷においても、まさに右発言どおりの供述をしていることが認められる。被告人ら五名の中で誰が最初に暴行を加えたかは、各人の果たした役割等の量刑事情としても極めて重要な事実であるところ、右の被告人Bに対する発言内容からすると、被告人Aのこの点に関する供述は、明らかに虚偽と認められ、少しでも自己の刑責の軽減を図りたいとする同被告人の供述態度が強く窺われるところである。このことは、同被告人の本件犯行態様等についての供述全般、ひいては殺意を否定する右弁解の信用性をも大きく失わせるものというべきである。

第三に、被告人Aは、捜査段階において、「Gが……いきなりバカトビ(F)の後頭部に石を投げつけたのです」「自分はGが石を投げたこの時ころから、Gはバカトビを殺すつもりだと思いました」「ですが、……Gがバカトビを殺す気だと分かっても、ここで止めようなどとは思いませんでした。自分たちがこのままヤキをぶっこみ続ければ、バカトビは死ぬかもしれませんが、いまさらおさまりもつかず、それでもいいや、しょうがねえやという気持ちでした」(乙35の検察官調書)と供述しており、右供述は、誰が最初に暴行を加えたかの点は別として、誠に自然かつ合理的である。これに対して、同被告人は、右供述が録取されるに至った事情として、「検察官に調べられたときは、検察官が、自分が言うことを何も信用してくれず、反対のことを言ってきたりするため、自分もけんか腰でどうでもいいやという気持ちになり、売り言葉に買い言葉という感じで、右供述を行ったのかもしれない」旨当公判廷で供述するが、同被告人は、右検察官調書においても、最初に暴行を加えた者がGである旨の供述を維持しているのであって、より重要な殺意の有無に関する事実につき、その意思に反した供述を行ったものとは考え難いところである。

以上のとおりであるから、被告人Aの殺意を否定する公判供述は信用することができない。なお、弁護人は、被告人Bの「DやGはFを殺害するつもりなのかもしれないが、被告人Aはそれでもまだ焼きを入れてFを片端にするだけのつもりではないかと思った」との供述(第一二回公判調書中の供述部分)をも援用するが、右供述は、何ら合理的根拠に基づかない、他人の内心に対する憶測にすぎない。結局、被告人Aの殺意を否定する公判供述等を検討しても、前記2の判断は動かないところである。

三  共犯関係の解消の有無等について

1  関係証拠によれば、被告人ら五名がいったん犯行現場を離れた後Gや被告人Bによりとどめの共同暴行が加えられるに至った経緯は、以下のとおりである。

(一) 当初の共同暴行が終了した時点で、Fは、重傷を負って転倒したまま、身動きもできない状態であり、被告人Aも、このまま放置すれば、Fは死亡するかもしれないと思ったが、それにもかかわらず、他の共犯者四名と共に、そのままFを放置して、その現場から百メートル余り離れた公園内公衆便所付近に移動した。

(二) 右公衆便所付近において、被告人Aは、手を洗うなどしていたが、その前後、Eは、Gに指示して、Fの様子を見に行かせた上、被告人B及びGの両名に対し、Fにとどめをさすよう命令し、その結果、右両名は犯行現場に立ち戻り、Fに対し、重さ約一一・五キログラムの大きな石塊を頚部等に数回投げ付けるというとどめの共同暴行を加えた。

(三) 被告人Aが、Eの右命令の内容を聞いていたとまでは認定できないが、同被告人自身が「Eが、被告人BとGに対し、Fが金を持っていたかどうか確かめて来るよう言ったのを聞いた」旨供述していることからも、被告人Aが、少なくとも、被告人B及びGの両名が犯行現場へ戻ったこと自体は知っていたものと認められる。

(四) 被告人Aは、E及びDと共に、右公衆便所付近で被告人B及びGが戻って来るのを待ち、被告人ら五名が揃ってから新宿駅西口地下街方向に引き上げたのであって、Fに対するとどめの共同暴行が加えられた際も、被告人ら五名のグループは解散したわけではなかった。

2  被告人ら五名が犯行現場を離れるまでにFに対して加えた投石等の共同暴行は、かなり強烈かつ執拗であってFに致命的ともいえるダメージを与えたことは明らかであり、被告人両名とも、このまま放置すれば死ぬであろうと思ったと供述しているところである。Fが直ちに救助され適切な治療を受けたとしてもその一命をとりとめることができたかどうか危ぶまれるところであるし、長時間放置されたならばまず死亡するに至ったであろうと思われるが、鑑定書(甲71)等の関係証拠によっても、そのように断定することは困難である。後のとどめの共同暴行時にはFが未だ生存しており、右共同暴行の行為の性質上これがFの死期を早めたことは確かであるといわざるをえない。

3  そこで、とどめの共同暴行が当初の被告人ら五名間の共犯関係解消後の別個独立の犯行といえるか否かを検討する。

前記三1の(一)ないし(四)の各事実のほか、関係証拠によると、以下のような事実が認められる。

(五) 被告人Aは、本件当時、新宿駅西口のエルタワー付近の地下街における路上生活者グループのリーダー的地位にあった。被告人Bは被告人Aの弟分であり、同被告人に対しては、生活の面倒をみてくれることに恩義を感ずるとともに、暴力団組員であった経歴を有する同被告人への畏怖感もあったため、同被告人の指示・命令には絶対服従の姿勢をとっており、これまで逆らったことはなかった。また、Eは、別の路上生活者グループを取り仕切っていたため、被告人Aの意に反しない限り、被告人Bに対して指示を与えることもあったが、被告人Aとの力関係はあくまでも対等であり、同被告人の行動を規制できるような立場にはなかった。Gは、被告人Aのグループには属しておらず、日頃、同被告人の指示を受ける関係にはなかったが、同被告人は、Gのことを喧嘩の弱そうな格下の路上生活者とみなしていた。

(六) 被告人Aは、E及びDとの間でFに焼きを入れることに決めた後、自らFを捜し出した上、Fを巧妙な嘘をついて油断させるなどして、中央公園に連れ出すことに成功した。中央公園に至るまでの道中も、被告人A自らが、他の共犯者の先頭に立って、泥酔して歩行の困難なFを抱き抱えながら連行し、中央公園に入ると、人目につきにくい雑木林を犯行場所として選び出して、Fを連れ込んだ上、他の共犯者を同所に導いた。このように、被告人Aは、Fに対し共同暴行を開始するまでの段階において、中心的かつ主導的役割を果たした。

(七) 被告人Aは、右雑木林にFを連行するや、自ら先陣を切って、いきなりFに膝蹴りを加えて転倒させており、その後も、他の共犯者とともに、Fに対する投石等の当初の共同暴行に積極的に関与して重要な役割を果たした。

(八) 被告人Bは、本件当時、Fに対し個人的な恨みはなかったのであり、本件に際しても、Dからいきなり「Aが呼んでいる」と言われて事情もよく飲み込めないまま、被告人Aらに合流したにすぎず、また、合流後も本件犯行終了に至るまで、他の共犯者から、本件に至る経緯や犯行目的等につき明確な説明を受けたことはなかった。被告人Bは、被告人Aがいたからこそ、本件犯行に加担したのであって、本件における被告人Bの行動は、Gとのとどめの投石行為の実行をも含めて、専ら、兄貴分である被告人Aの意に沿うべくなされたものであった。

4  以上の(一)ないし(八)の各事実によれば、被告人Aが、Fに焼きを入れるという当初の謀議から当初の共同暴行終了に至るまで、一貫して重要かつ主導的役割を果たしたこと、したがって、右共同暴行終了の時点で、Fが瀕死の重傷を負って身動きもできない状態となったことにつき、同被告人の寄与度は極めて大きかったこと、Eは、当初の共同暴行終了後まもなく、犯行現場からほど近い場所で、被告人Aも近くにいる時に、とどめの共同暴行の命令を下しており、右命令は同被告人を特に排除した上でなされたものではないこと、被告人Aも、Gや被告人Bが再び犯行現場に戻ったことは知っており、右両名によりFにさらに危害が加えられるおそれがないとはいえなかったにもかかわらず、そして、その両名の行動を規制し得る立場にあったにもかかわらず、彼らの行動に格別配慮することもなく成り行きに任せていたこと、とどめの共同暴行の前後を通じて、被告人ら五名のグループは解散されていなかったことが明らかである。

これらを総合考慮すると、被告人ら五名が当初の共同暴行終了後に犯行現場から離れた時点で、それまでの五名間の共犯関係が解消したなどということはできず、その後のとどめの共同暴行も、当初の共同暴行の余勢を駆って、その共謀の目的を完遂するためになされたものであり、当初の共同暴行に際して形成されたF殺害の共謀に基づくものとみるのが相当である。したがって、被告人Aもとどめの共同暴行及びこれにより生じた結果についての罪責を免れないことになる。

四  以上によると、弁護人の主張は、いずれも採用できず、被告人Aに判示第一のとおりの殺人の共同正犯の成立を認めることができる。

(被告人Bの累犯前科)

被告人Bは、昭和六〇年九月二四日敦賀簡易裁判所で窃盗罪により懲役八月(三年間執行猶予、昭和六一年四月九日右猶予取消し)に処せられ、平成四年五月一四日右懲役刑の執行の免除(刑の時効完成)を受けたものであって、右事実は検察事務官作成の平成六年六月三日付け前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人両名の判示各所為はいずれも刑法(刑法は平成七年法律第九一号による改正前のもの。以下同様)六〇条、一九九条に該当するところ、被告人Aについては、各所定刑中判示第一の罪について有期懲役刑を、判示第二の罪について無期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の罪につき被告人Aを無期懲役刑に処し、刑法四六条二項本文により他の刑を科さないこととし、被告人Bについては、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条により刑法一四条の制限内で判示第一及び第二の各罪の刑についてそれぞれ再犯の加重をし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、刑法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に刑法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人Bを懲役一六年に処することとし、刑法二一条を適用して未決勾留日数中、被告人Aに対しては二七〇日を、被告人Bに対しては三六〇日をそれぞれその刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人両名に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件は、新宿駅西口地下街の路上生活者中の一グループのリーダーである被告人Aが、同じく路上生活者である被害者両名の行状等に腹を立て、弟分である被告人Bや他の路上生活者仲間と共にリンチを加え、その挙げ句被害者両名を殺害したという、僅か四日間のうちに敢行された連続リンチ殺人事件である。即ち、本件第一の犯行は、被告人Aにおいて、被害者Fが路上生活者仲間の持ち物を盗んだり、仲間に酒をたかったりしていることに憤激し、被告人Bや別のグループのリーダーであるEらの合計五名で、被害者に対し、有無を言わせず、殴る蹴るの一方的暴行を加えた上、重さ一一キログラムを超える大きな石塊等を何回も被害者の頭部等に投げ付けて死亡させたという事案であり、また、本件第二の犯行は、被告人Aが、被害者Iからラジカセを盗まれた上、その弁償等の要求に対し無責任な態度を示されたため憤激し、被告人B及びHと共に合計三名で、被害者に対し執拗に殴る蹴るの暴行を加え、ついには重さ約一九キログラムものブロックを被害者の顔面や頚部等に数回投げ付けて即死させたという事案であって、いずれも凄惨な凶悪事犯である。

両事案とも、被告人らは、ほとんど無抵抗の被害者に対して手拳で殴打したりあるいは足蹴にするなどの暴行を繰り返し、その結果被害者の身体に多数の擦過傷、打撲傷を生ぜしめ、一連の暴行により全く身動きできず、倒れたままの被害者に対し、重い石塊やコンクリートブロック等をその頭部や頚部に投げ付けて殺害し、その結果被害者Fは頭蓋骨が多発骨折したほか、胸骨・肋骨等多数の骨が骨折し、軟部組織から大量出血しており、被害者Iは、頭蓋骨及び顔面骨が粉砕状に極めて複雑に骨折し、脳も高度に挫滅しているのであり、いずれも犯行態様は極めて執拗、残忍で悪質というほかない。

さらに、本件において特筆すべきは、両犯行が、僅か四日間という短期間のうちに連続して犯されている点である。被告人両名は、本件第一の犯行後、被害者の死体が発見されたことを聞き及び、犯行が発覚するとともに、やはり被害者は死んでしまったのだということを思い知らされながら、その後も、人間の生命の尊さに対し些かも思いを致すことなく、本件第二の犯行に及んでいるのであって、このような被告人両名の冷酷、非常さには戦慄を禁じ得ないものがある。また、本件各犯行は、既に述べたところから明らかなとおり、法秩序を全く無視した蛮行であると断ずるほかないが、このような蛮行が、多数の人々の行き来する東京新宿において、いともたやすく連続して敢行されたという事実は、社会に対して大きな衝撃、不安感を与えたのであって、この点も軽視することができない。

被害者両名には、それぞれ、常々路上生活者仲間の持ち物を盗んだり、酒をたかったりしていたとか、被告人Aの所持品を無断で持ち出したことがあったといった非は認められるにせよ、そのこと故に、意識を失うほどの暴行を受け、ついにはその尊い命をも奪われなければならないという道理はない。被害者両名とも、同じ路上生活者からこもごも激しい暴行を受けた後殺害されたのであって、その無念さは計り知れず、それに加えて被害者の遺族の哀しみもまた十分に考慮されるべきである。

二  被告人Aについては、本件第一の犯行において、既に詳述したとおり、当初の焼きを入れるという謀議の段階から、共同暴行後いったん現場を離れるまでの間、一貫して重要かつ主導的な役割を果たした主犯格の人物の一人であり、被害者の死亡という結果の発生に対する寄与度はまことに高く、被告人Bらによるとどめの共同暴行に直接関与していなくとも、その刑事責任の重大であることには、疑問の余地がない。また、本件第二の犯行では、被告人Aは自ら積極的に暴行を加えたほか、被害者殺害に至るまで終始被告人B及びHに命令を下すなど主犯として主導的役割を果たしていたものであって、その刑事責任は他の共犯者に比して格段に重いといわなければならない。以上に加え、被告人Aは、捜査段階において、「悪いのは被害者らの方であるから、自分は反省も後悔もしていない」などといった口吻さえもらしており、この点甚だ遺憾である上、同被告人には、窃盗、恐喝未遂、傷害、常習累犯窃盗等の罪による懲役前科四犯があることをも併せ考えると、同被告人は厳しい責任を免れず、十分にその罪責を償うべきである。

したがって、被告人Aが、本件第一の犯行において、被害者にとどめを刺す共同暴行には直接関与していないこと、捜査段階と異なり、公判手続が進行するにつれ、徐々にではあるが自己の犯した罪の重大性に気づき、それまで否定していた犯行の一部につきこれを認める旨の供述を始めるなど反省の態度も窺われること、その他その生育歴・家庭環境等被告人Aのために酌むべき諸事情を十分考慮しても、主文のとおり、同被告人を無期懲役刑に処するのが相当である。

三  次に、被告人Bも、被告人Aと共に、本件各犯行を実行したものであり、厳しい責任を免れない。とりわけ、被告人Bの分担した実行行為をみると、本件第一の犯行においては、当初の共同暴行が終了し、いったん他の者と共に犯行現場を離れた後、再度現場に立ち戻り、被告人ら五名の使用した中で一番大きな石塊を外一名と共に数回投げ付けて被害者にとどめを刺しており、また、本件第二の犯行においても、被告人Aらと共に重いブロックを被害者に対し数回投げ付けるなどしており、右各行為は、その客観的態様や被害者両名に与えた傷害の程度という観点からするならば、被告人Aら他の共犯者のそれと比較しても、特に悪質な部類に入るものというべきである。このほか、被告人Bには、累犯前科欄記載のものを含め窃盗の前科が二犯あることなども併せ考えると、同被告人の刑事責任も誠に重いというほかない。

しかしながら、被告人Bは、被告人Aの弟分であり、同被告人の命令には絶対的な服従を心掛けていたものであること、このため、いずれの犯行においても、当初は事情がよく飲み込めないまま被告人Aらの行動に加わり、その後も、専ら、兄貴分である同被告人らの指示命令に従い、あるいはその意に沿うべく本件各犯行に加担したものであって、各犯行への関与は追随的、従属的であるといえること、被告人Bは、各犯行後その重大性を自覚し、捜査段階から公判段階を通じて終始本件犯行を素直に供述し、被害者両名の冥福を祈る旨を供述するなど深い反省の態度を示していること、その他その生育歴・健康状態・家庭環境等被告人Bのために酌むべき諸事情も認められるので、当裁判所は、被告人Bについて以上の事情すべてを総合考慮して、主文のとおり量刑した次第である。

(裁判長裁判官 安廣文夫 裁判官 平木正洋 裁判官 飯畑勝之)

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